私の猫歴史①初めて猫を飼うまで

鍼灸師にゃつこ、なんて語っているところからお察し頂いているかもしれませんが、私は猫好き人間です。といっても、別に猫だけでなく、犬も好きですし、生き物全般興味の対象です。(でも刺すやつとかはちょっと嫌、あと家に入ってくる奴も嫌)

ブログを書き始めたタイミングで10年ぶりの保護猫と縁があったのも、なにかの導きかなと思い、私と猫の歴史を振り返ってみようかなと思いました。

生き物大好きの父の影響で、小さい頃から生き物が大好きでした。
幼稚園の時、和歌山から大阪に引っ越してきたばかりの頃住んでいたところは、山の近くで自然が豊か。
団地の間の植え込みや空き地に虫取りにいったり、川で魚をとったりオタマジャクシをつかまえたり、と、童謡「ふるさと」の歌のようなことをリアルにやっていました。

住んでいたのは団地の2階。
川でとってきたフナや謎の淡水魚、ザリガニ、オタマジャクシと常に何かを水槽で飼育していました。また、たくさんのこれまた種類のよくわからない虫たち、夏にはセミ、カナブン、ハナムグリ、秋にはバッタ、こおろぎ。たまにはカマキリなんかも虫かごで飼育。
餌代わりに砂糖水をしみこませた綿花をつくったり、母親にきゅうりを切ってもらって最初のうちはよく世話をしていましたが、最終的にどうなったのか記憶がありません(;^_^A


団地住まいのため、犬や猫は買うことができず、長らく鳥を飼っていました。
やたらと出産上手のお母さんインコがいた時は、鳥かごがベランダに3つか4つ並んでいた記憶があります。


またタクシーの運転手をしていた父は、時々巣から落ちてた、とか、車にはねられてた、とかいろんな理由を付けては、小鳩、時にはカモなんかも連れて帰ってきました。そんな父でしたが、やはり団地住まいと言うこともあり、四つ脚の動物だけは拾って帰って来ませんでした。

そんな我が家でしたが、猫をはじめて身近に感じたのは、この団地住まいのころでした。
団地の1階には野良猫が住み着き、出産を繰り返していました。
我が家では2階から時々ちくわやウィンナーを投げ与えるという、今から考えると、ご近所問題に発展しかねないようなことをやっていましたが、やはり時代のせいか、みんなおおらかだったんですね。特に問題もなく、いつも近くに、そこそこ人慣れした、顔なじみの猫がいる環境で育ちました。

そんな我が家と猫の距離感に変化が訪れます。
私が高校2年生の頃、かねてから少し様子がおかしい、と思っていたた母に大きな病気が見つかりました。
手術のために2ヶ月ほど入院することになった母。家には父と姉妹二人の生活。

そんな最中、私と姉がまだ目が開いて間もない小さな子猫を、近所の小学生が連れているのを発見しました。その子たちに任せておいても絶対手に負えないのは明白。
だからといって、自分達の手に負える根拠など何もなかったのですが、「お姉さんに預けなさい」と引き受け自宅に連れて帰りました。
だいたい、これまでの経験で、野良犬や野良猫を連れて帰ってきて怒るのは母でした。
その母は今いない。
今なら家で子猫構い放題だ。とそんな打算があったのは明らかです。

今思えば、病気で入院している母のいない隙に家に猫をつれこむなんて、不謹慎極まりないですね(;^_^A


案の定、仕事から帰ってきた父も猫がいることに驚きはしたものを捨てて来いとは言いません。
そこから数週間、当時猫を育てたこと経験のない私たちは、牛乳をスポイトで飲ませてると言う、今考えてみればトンデモないお世話をしながら、その子猫を育てていました。
父も、仕事から帰ってくるたびに声をかけ、母が入院しているのをいいことに親子3人で猫のいる生活をある意味楽しんでいました。

・・・なんか本当にひどい家族にみえてきたので、ちょっと弁解します(笑)

何せ人生始まって以来初の、母親が入院すると言うビックイベントの最中。
しかも母の疾患は頭にあり、そのせいでいわば認知症のような症状がみられ、入院前から家族の関係はギクシャクしていました。母の病気がわかって以降、母方の親族から、父も私たちも、「あんたたちのせいでお母さんは病気になったんだ」と、ドラマみたいなセリフをなげつけられることもありました。そんな中で、世話をしなければ死んでしまいそうな小さくて、かわいい子猫の世話をしているのは、この上ない癒しだったんだろうと思います。


しかしやっぱり団地住まいは変わりません。今さら捨てることはできないし、里親でも探さないといけないかなぁと家族で話をしていたら、父が

「どうせやったら、もっと上等な子をペットショップで買ってこよか?」

と謎の発言。

・・・自分からこの子を飼おうとは言いだせない、父の照れ隠しだったのか、意地だったのか(笑)

私たち姉妹ははすかさず
「猫飼うんやったらこの子飼いたい!飼ってもいい?」
と、父の期待に応えて(笑)お願いしました。

「そんな子でええんかいな?」
と父はしぶしぶ(笑)認めてくれました。

なんだこの家族間の3文芝居(笑)

そんなわけで、私たちは初めて猫を飼うことになりました。
母親の入院中、実は4つ足の動物を飼いたくて仕方がなかった家族3人が結託して飼い始めた猫。

真っ黒な体に白い爪。まるで熊みたいということで、名前はくまのぷーさんからとって、ぷーとつけました。

このぷーちゃん、実はノミだらけだったらしく、その後家にノミがぴょんぴょん飛び回り、人間も噛まれまくって、かゆい思いをしたり、おしりの中にギョウチュウを飼っていて、謎の白いウニウニと動く物体を落としまわったり、脱走して団地の5階の屋根から降りれなくて騒ぎを起こしたり、と様々な事件を巻き起こしてくれました。

父はぷーちゃんを飼い始めて、2年後、突然亡くなりました。
そして、さらにその2年後から母の介護生活が始まりました。
その後15年間続いた在宅介護生活の前半、ぷーちゃんは私たちが介護してようが何しようがお構いなく、時には仕留めきっていないセミを家の中に持ち帰り放逐したり、雨の中、窓を勝手に開けてでかけて、流血沙汰の喧嘩をして、また勝手に開けてずぶぬれになって帰ってきたり、テレビの上の花瓶をひっくり返し、テレビを昇天させたり、と様々な事件を巻き起こし、13歳半で亡くなりました。
でも、その後もすぐにご縁があって、新しい猫を迎えることになり、そこからずーっと猫を飼い続けています。

父が猫を飼うことを許してくれたことで、我が家には猫がいるのが当たり前になりました。
そして、介護生活の中に猫がいてくれることが、私達にとって、とても大きな救いになりつづけてくれました。きっと猫がいなかったら、終わりの見えない介護生活、何処かで精神を病んでいたんじゃないかなぁ、なんて大げさですがちょっと思います。

また、ぷーちゃん以降の猫を新たに迎える過程でしりあった方に、猫の里親探しについて教えてもらって、自分達で里親を探すこともできるようになり、見つけた子猫を見捨てなくてよくなりました。

里親さんになってくれた方、同じように猫の保護活動をしている方など、新しい人間関係も広がりました。

ぷーちゃんを筆頭に、今まで家族に向えた猫、8匹。里子に出した子、8匹。

そして今、新たに里子に出す9匹目の子がやってきました。

お父さん、あなたが猫を飼うことを許してくれたおかげで、私達の人生楽しくなりました。結構大変なことも多いけど(笑)

ふと気が付けば、今月で父が亡くなって29年になります。
秋の夜長にぴったりの、ちょっぴりセンチメンタルなブログが書けましたよ、お父さん。
いろいろありがとう。

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