はじめての保護猫活動から、合計6匹の子猫を里子に出すことに成功した私たち。
それくらいやれば、大体手慣れてくるものだろう、なんて思われるかもしれませんが、里親探しはそんなに甘いものではありませんでした。
TNRを率先してやってくれるご近所さんも現れ、近所で子猫を見かける事は少なくなり、心臓に悪い出会いもなくなってよかったなぁ、と思っていたある日。
史上最高に心臓に悪い、猫との遭遇に見舞われたのでした。
仕事帰りにバイクでいつも通り、いつもの道を走っていると、端っこに白黒の子猫を発見。
車が時速6~70キロ位で行き交う、信号も歩道もない片側2車線の幹線道路です。
なぜそんなところに子猫がとびっくり。
でっかい声で
「なんでーーー!?」
と叫んだの覚えています(人生で最大ボリュームの独り言)
幸い近くにゼブラゾーンがあったので、そこにバイクを停車。
急いで猫のところに戻ろうとして改めて危険な場所であると言うことに気がつきました。
だからといって諦めるわけにもいかず、ゆっくりと端を歩きながら猫に近づきます。
近づいてみてまた恐怖。もしこの子が手を伸ばしたときにびっくりして逃げて飛び出してしまったらどうしよう。
目の前でぷちっと子猫が車にひかれる姿は見たくない!
そしてそれを追いかけて、私が車にひかれるようなことになっては、ドライバーさんにも大けがを負わせてしまうし、家にいる4匹の猫に申し訳がたたない。
と、かつてないスリルに富んだ保護現場。
最悪、猫が飛び出しても自分だけは飛び出さないようにしよう、と硬く心に決めて、
「逃げないでね~、逃げないでね~」
と声をかけながらそっと手を伸ばしたら、私の気持ちが通じたのか、おとなしく捕まってくれました。
はぁ~~~っ
ほっと一息。しかしゆっくりしていられるような場所ではありません。
すぐそばを走り抜けてゆくドライバーの視線も痛い!
そそくさとバイクにもどり、背負っていたリュックの中身を全部バイクのメットインの中に移し、リュックの中に子猫を入れて連れて帰りました。今となっては懐かしい思い出です。
その子が今我が家にいる紅一点の「ちまり」です。
ええ、今は「でぶり」ですが、当時はちまっとしてたんです。だから、「ちまり」
あれ4匹目で終りにするんじゃなかったの?
とここまでの猫歴史を、続けて読んでくださった方なら突っ込んでくれそうですが。
そうなんです。初めての里親募集に失敗し、黒猫「まめ」を家の子にしたときに、
「次から拾った子は必ず里子に出そう」
と姉妹で固く誓いましたが。
はい、この子は今も家にいます。
そう!誓いはやぶられたのです!!!(堂々と言えばいいというものではない)
この話には続きがありましてですね。(今から言い訳がはじまりますよ)
この子に関しては、ちゃんと里親募集はしたんですよ。
いつもの通りに段取りを踏んで何件か応募もいただきました。
しかしながら、我が家はこの年、
戸建てを新たに購入して引っ越し、鍼灸院を開業する
ことが決まっていました。
それまで住んでいた築40年越えの中古物件から雨漏りがしたり、システムキッチンがぶっ壊れたり、そろそろ壁も塗り直し、瓦も葺き替えしなければいけない。そんな時期に差し掛かっていました。
それを機に、母を介護し始めて、15年の月日が経ち、いい加減、自分たちの将来について真面目に考えなければいけないと思い始めていました。
特に、姉は母の介護が始まって1年後から、今でいう「介護離職」をして、定職につけないまま、ずっと過ごしてきていました。
当時母のところにきてくれていた、訪問鍼灸の先生に勧められ、鍼灸学校に進学し、資格を取ってはいたものの、本格的に勤めることは介護をしながらでは難しく、10年近く、細々とその先生のもとでアルバイトとして働いていました。しかし、いつまでもアルバイト、というわけにもいかず、そろそろ独立を考え始める時期に差し掛かっていました。
そんないろいろな出来事が重なって、悩んでいるときに、その時住んでいた家の裏にあった、通りに面した古い家が取り壊され、売りにでました。
そこで、思い切ってその家を購入することに決めました。
その家は3階建て、1階で治療院を開業し、2階以上を生活のスペースにすれば、開業にあたっての費用も最小限に抑えられます。
母が家にいると、やはり仕事に集中することはできません。
そのため、母には老人ホームに入ってもらうことにしました。
そのため、お世話になっていたケアマネージャーさんを通し、老人ホームを探してもらいました。
引っ越し先については、別に新築でなくてもよかったのですが、たまたまその家は更地になり、今から家を建てて売る、という段階だったので、ありがたいことに色々自分たちの自由に選べました。
しかしながら、この選ぶ、というのが大変。屋根の色、壁の色、窓枠の色、玄関ドアのタイプからポストのタイプ。
ベランダの外枠の色、床、壁紙、キッチンのタイプ、部屋のレイアウト、トイレのタイプにおふろのタイプ、クローゼットの扉の色、ととにかくありとあらゆるものを、選ぶ必要がありました。
そして、姉はそれと並行して開業の準備。
治療に必要な機材を発注したり、家に取り付けるために手はずを整えたり、と。
それはもう多忙を極めていたのです。
そんなわけで、子猫の里親探しもはかどりませんでした。
そして、スリリングな保護から3か月経過したある日。
姉妹で出かけた駅からの帰り道、いつも地域の野良猫がご飯をもらっている場所に、いつもは見かけない小さな影を発見してしまいます。
「~~~~ぁっ」(声にならない声)
これはいかん、これはいかんぞ、今も家に1匹いるのに。
こんな超忙しいときに、さらにもう1匹はさすがにまずいぞ、とは思いましたが。
明らかに生後1か月に満たない子猫。一人で生きていけるはずがない。
とりあえず様子を見ようとしゃがみこんでみると、その小さな猫は必死に食べていたごはんから顔をあげ、私の膝によじ登ってきたのでした。
・・・はい、保護決定。
しかし、この子、ノミだらけで風邪引き。目の周りが腫れ上がってかわいい、とは言えない状態。当時の私たちの印象は有名秋田犬の「わさお」みたい。でした。わさおはかわいいけど、わさおに似た子猫ははてどうなのか…。
これまでの里親募集で、猫の見た目が里親さんの決まりやすさを分ける、という事は嫌と言うほど体験していたので、この子の里親探しは難航するなぁ、と正直初めから諦めモード。
それより何より。
引っ越しを1か月後にひかえ、準備で疲れ果てていたということもあり、今から2匹の里親探しなんて
「もう無理」
と2人揃って里親募集諦めることになりました。
と言うことで、我が家は一気に2匹増え、6匹の大所帯。
家がちょっと広くなるからいいだろうとか、適当な言い訳をしながら賑やかな生活が始まってゆくのでした。
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