ときめけない自分にも許可を出す重要性

心の安定を自給する

私の姉も鍼灸師をしています。

先日の夕飯時、
「新しい患者さんから予約があってさ」
とのこと。

きけばその予約をしてくれた患者さん、とある勉強会で知り合った方で、鍼灸を体験してみたいからと、連絡をくれたそうです。

「よかったやん」

という私に

「うん、ありがたいことやねんけど」

と浮かない顔の姉。

理由をきくと。
「うーん、まぁ、うち一応女性専用やん?」
そう、姉は女性専用で鍼灸院をしています。

「でもまぁ、お知り合いはオッケーでしょ?」
と私。

「うん、まぁそうやねん」
とはっきりしない様子の姉。

「うん、まぁありがたいんだけどね」
と最終姉は自分を納得させるように、その場は話が終わりました。

さて翌日。
また夕飯のときに、なんだか腑に落ちた様子で

「私さぁ、なんか、ふくよかで、なおかつ髪も少なくない男性が、どうも苦手みたい」

…まぁ、ありますよね。

理屈じゃない。もう、頭で考える前に、心が反応して「快・不快」を感じ取ってしまう。

「…そっか、まぁそれはしゃーないなぁ」
というしかない私。

姉はさらにつづけます
「そう、あかんやろ?そんな見た目でさ判断して、いややなぁとか、患者さん選ぶのはあかんやろ?」

「うん、まぁ、そりゃあんまり称賛されることではないわなぁ」
と私。

すると姉は勢いよく

「でもな!だいたい、太っててはげてる人(あ、ダイレクトに言った)ってな、なんかべたべたしてて、臭いしさ。節制できてないから太ってるくせに、偉そうなものの言い方する人がおおいやん!?」

と言い放ちました。

…いやいや、姉よ、ちょっと待て。
その人は、べたべたしてたのか?そして臭かったのか?そして偉そうだったのか?

聞いてみると、
「うーん、よくわからん、ちょっとだけ偉そうではあったけど…」

とのこと。

この時、私は最近YouTubeで聞いた

「自分責めをやめると人から愛される」

というからくりの一端が分かったような気がしました。

要するに姉は
「外見で人の良しあしを判断するなんていけないことだ」

自分を責めていた

結果、でもそういう風に思ってしまうには理由があるんだ、と自分の正当性を主張したい気持ちになってしまった。

そして

「ふくよかで髪の毛の薄くなった自己管理が出来てないのに、他人には偉そうに接し、脂性肌で加齢臭をさせていた人物」

という過去に自分が出会った似たような人の不快な記憶を引っ張り出してきてしまった。

もし、その過去の記憶をもとに、新たに出会った人を見ていれば、自ずから自然となにかにじみ出るものがあるはず。

そしたら、それはきっと、相手に伝わり、相手に不快な想いをさせる=絶対愛されない

いや、まぁそりゃ誰彼構わず愛されなくてもいいですけど、昔の自分の嫌な経験をわざわざ引っ張り出してきた挙句、人に不快な想いをさせてて、嫌われるのはできたら避けたいですよね。

今回のケースだって、たとえ最初は「ちょっと嫌だな」と思ったとしても、過去の嫌な記憶と結びつけたりせず、穏やかな気持ちでその人と向き合えば、たとえ少々ふくよかで髪の毛が少なくなっていたとしても、人間的な魅力に気が付くことができるかもしれないですよね。

ということで、結論的に

「ふくよかで髪の毛の薄い男性が苦手な自分」

許し、受け入れることで、自分の正当性を主張する必要もなくなりそれ以上余計に人を傷つけたり、不快な想いをさせることもなくなる=自分責めをやめれば人から愛される

ってことなのでは、と。

なんかハッと気が付いたのです。

そして振り返ってみたら

しいたけが嫌いな友達が、

「あんなもん、カビの仲間だよ!食べるほうがどうかしてる!」

としいたけ好きの私に言い放ち、

「なんやねんこいつ」

とムカついたことがあったなぁ。

あ、そうか、あの子は「しいたけを食べられない自分はダメな人間だ」ってどっかでおもってたんだなぁ。そうかぁ、そうだったのかぁ。

ちょっと、過去の友達にもやさしくなれた、ささいな、だけど、結構大きな気付きでした。

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