怒りは悲しみ、悲しみは大切にしていることがある証

言葉の力

1年ほど前の事故処理がまだ終わっていません。

相手は自転車に乗った男子高校生、私はバイク。
信号待ちで停車している車の間を擦り抜けてきた自転車と、車の横を走っていた私が衝突。
私は転倒、相手はたおれず。
お互い大きなけがもなくて幸いでした。

しかしそんな小さな?事故、の処理がいまだに終わらず。

個人的には納得できないことがいっぱいあって思いだすたびに腹が立ってイライラしてしまいます。
細かいことはこんなところに描くべきことではないので割愛しますが。

(ほんとは〇✖△%#&%#!と暴れたい気分ですが、自粛します(;^_^A)

私的に思いだすたびに、一番腹が立って仕方がないことは、事故処理中にやってきた男子高校生の兄で、警察官をやっているという青年が、転倒もせず、特に目立った外傷もない自分の弟のために「事故処理がスムーズになるから」という理由で救急車を呼んだことでした。

まだまだコロナ禍の最中。
救急隊の過酷な状況は毎日ニュースで報じられていました。
滅多なことで救急車は呼ぶものじゃない、と思っていた私にとって、それは衝撃的なことでした。

「あなたの弟さん、こけてもないよ、頭も打ってないし、なんで救急車…?それを何で警察官のあなたがやるの?」

そのことに腹が立って心臓がバクバクしたのを覚えています。

・・・しかしですよ。
まぁ、もう1年前の事故なんです。

いちばん腹が立つのは、そんなことにいつまでも腹をたててしまう、自分のメンタルの未熟さでした。
だって、イライラしてカリカリして、貴重な時間を不愉快にすごしているのは、私自身。私が私の貴重な時間を奪っているってことが、残念すぎて、余計に腹が立つのです。

で、そこで思いだしたのが最近きいた
どんな自分でも
「認め、受け入れ、許し、愛します」
と唱えましょう、という言葉。

またまた、そんな口先だけで、と昔の私ならおもっていましたが、最近は自分を助けてくれるかもしれないアドバイスは、とにかく何でも一回やってみることにしています。

「こんなつまんないことで、いつまでも腹を立てている私を認めます。受け入れます。許します。愛します」

実際に小声でぶつぶつ唱えてみました。

するとですね、なんとなくですよ。
イライラ、カリカリして、とげとげしていたものが、すこし落ち着く感じがしました。(写真はイメージです(笑))

そしたらね、また別の言葉を思い出しました

それが今日のタイトル
「怒りは悲しみであり、悲しみは大切にしていることがある証」
という言葉。

そう、私は、仮にも正義の味方の警察官のお兄ちゃんに、一般市民の私が大切にしている、「救急隊の人に迷惑をかけちゃいかん」という気持ちをないがしろにされたことが悲しかったんだなぁ、だからあんなに腹が立ったんだなぁ、ということに気が付いたんです。

そしたらね。
そのことに腹を立てていた自分のことは、なんかね、ほんとに許せちゃいました。あ、私結構いいヤツやん?って感じで。

だからね、皆さんも、もし「もうなんで自分ってこんなにあかんヤツなん?」って腹がたっちゃうことがあったら

「そんな自分も認め、受け入れ、許し、愛します」ってつぶやいてみてください。

そしたら、なんかちょっと心が軽くなるかも、ですよ。
腹が立ったままではときめきも感じられませんから。

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