このページでは、「遊暮働学café&鍼灸院 花咲実る」の店主で鍼灸師の私、なつこがこの場を始めることになった理由を、物語仕立てでご紹介します。
超、がつくほど自己肯定感が低く、何をやっても長続きしなかった私がこの場所にたどり着き、「こんなわたしでも好きとなことだけやって生きていけるかも」、と思えるまでの物語をお伝えすることで、「誰もが好きなことだけやって生きていける世界」の可能性を感じていただき、ごきげんなジジババへの道を共に歩めることを願って。
いじめ、介護、貧乏、40年越えの超低空飛行な自己肯定感時代
4人家族、二人姉妹の次女として生まれ、4つ年の離れた姉にいつもくっついていた。そのせいか、コミュニケーションはいつも姉頼み。結果的にコミュニケーションが苦手なまま学校という集団生活に突入した。
それが災いしたのか、小学校の高学年から中学を卒業するまでの4年間、クラスをまたいで男子からの集団いじめに遭うようになった。
思春期に異性からの集団いじめをうけ、それを同性の女子からもからかわれ、自己肯定感はヒエラルキー最下層まで低下していった。
そんな真っ暗闇の中学生活は卒業によっておわり。高校に進学し、目立ったいじめからは解放された。
だが、高1の夏を過ぎたころ、友人とちょっとしたトラブルになり、複数人から無視される、という事件が勃発。
「もう自分はどこへいっても人とうまくやれないんだ」
と完全に人間関係を構築する自信がなくなり、他人が怖くなった。
今から思えばそれはさほど深刻なトラブルではなかったが、4年間のいじめから解放された安ど感をあじわったあと、ふたたびある程度の集団から無視される、というトラブルに遭遇し、学校に行けなくなってしまった。

そこから半年間、登校拒否はつづいた。
毎日のように母からは罵られたが、心優しい姉と割と寛容な父、ときどき連絡をくれる学校の先生のおかげもあり、徐々に恐怖心がやわらぎ、なんとか学校に行くことができるようにはなった。
だからと言って、コミュニケーション上手になったわけではなく、人間関係を構築する自信はないまま。自分の中の嫌われそうな要素をできるだけ消して、ひっそりと学校生活を送る中、家庭内では、母の病、父の突然死に見舞われる。
そして母は病がもとで寝たきりとなり、要介護状態に。
姉妹で父の代わりに家計を支え、母の代わりに家事をこなす日々となった。
コミュ障、とまではいかないまでも、人間関係構築に自信が持てないまま、介護生活に突入。
私が 成人を迎える前に父という大黒柱を失った挙句、働き盛りの姉は介護がはじまって早々に介護離職に追い込まれ、金銭的にも生活は苦しかった。

同世代の友人が、お化粧して、美容院で美しく髪を整え、流行りの洋服を身にまとい、どんどんきれいになっていく中、私にはそこにお金をかける余裕はなく、 お金がないことが、さらに劣等感に拍車をかけていく日々だった。
そんな友人たちがやがて恋愛して、結婚して、子育てをしていく中、私はいつ終わるとも知れない「介護」を生活の中心に置かざるを得ない毎日がずっと続いていた。
この生活はいつおわるのか?いつまでも付きまとう金銭的な不安、上がらない自己肯定感を抱えたままま過ぎ去った20年の歳月
最後の5年だけは、老人ホームにあずかってもらった母は75歳でこの世を去った。
介護がはじまった時22歳だった私は42歳になっていた。
そして、介護の終了と共に突然訪れた自由すぎる日常。
「え、わたし、これから何したらいいの?」
突然の自由をもてあますアラフォー独身女子
私が17歳の時に母の病気、19歳の時に父の突然死、22歳からは母の介護、という目まぐるしく我が家に起こった変化。結果的に、父の代わりに家計を支え、母の代わりに家事をこなし、そして寝たきりの母を介護する、という役割を背負い続け、40歳を過ぎて突然、その役割から解放された私たち姉妹。
介護生活の間に、「介護をしながらでもできる仕事を」と、2人そろって時期をずらし、奨学金をを借りて鍼灸の専門学校へ進学。
国家資格をとって、働きだしてはいたが、まだ稼ぎは安定せず、奨学金という多額の借金もあり、我が家の生活は相変わらず裕福とは程遠かった。
でもわたしたちは、遊びたい盛りだった20代を取り戻すかのように、少ない小遣いを持って、ただ、のんきに週末の度にでかけていた。
当時、あちこちにできていたショッピングモールや、おしゃれなカフェに週末の度に二人で出かけた。始めのうちは自由を謳歌している感じがして、楽しかった。
しかし半年もすると、判で押したようなショッピングモールで過ごすことも、おしゃれなカフェを探す事にも飽きてしまった。
何もかもが「持続不可能」?
当時の私の仕事は、訪問の鍼灸マッサージ。
母の介護生活中に鍼灸師の免許を取った姉の影響で自分も鍼灸マッサージ師の免許を取得していたが、実際の仕事内容は鍼灸というより、在宅や施設で介護を受けている方のリハビリのようなものだった。
徐々に収入は増え、幾分、生活は安定しておくれるようになっていた。
しかし、「保険診療で安い金額だから」という理由で、依頼される仕事。
認知症高齢者にリハビリをするという、成果の見えにくさ。
認知症という病気の性質上、やむを得ない、とわかってはいたが、このリハビリを全く喜んでもらえず、暴言を吐かれたり、暴力を振るわれることもあり、自分の仕事にやりがいを見出すことができずにいた。

対して、先に鍼灸師の免許を取得して自宅で開業していた姉。
経営は安定とは程遠かったが、来てくれる患者さんは決して安くはない施術料金を、「ありがとう」の言葉と共に払ってくれていた。
鍼灸の施術を喜んでもらえる姉の姿をみて、「私も感謝され、やりがいの持てる治療院を開業したい!」と思うようになり、「○○流鍼灸」とか「○○式マッサージ」などさまざまな流派の勉強会や、経営や開業について学ぶセミナーなどに通うようになった。
しかし、鍼灸治療の世界は余りに奥深く、いつまでたっても開業してやっていける気がしない。
気が付けば勉強会に通い始めて10年近く、費やしたお金は積もり積もって、新車が一台購入できるほどになっていた。
それなのに、何も変わらない日常。
長い時間と、決して少なくはないお金を無駄にしてしまっている自分が情けなかった。
もう、あきらめて今の訪問マッサージの仕事を一生続ける?
雨の日も、風の日も、猛暑の日も、極寒の日もバイクに乗って訪問先に向い、喜んでくれるわけでもない人に施術をする仕事。でもそんな患者さんでも減ってしまうと収入も減る。勤め先は小さな個人の治療院で社会保険は自腹。おそらく退職金もない。たぶん高齢になっても働き続ける必要があるのに、今の仕事しかできないままの自分でいる事は不安過ぎた。
プライベートでは、自由な時間が増えた今だからできること、やってみたいことって何?と自分に問いかける日々が続いた。
いつごろからか、ふと「田舎暮らし」「移住」「自給自足」なんていう言葉が思い浮かんだ。子供のころから生き物が好きで、川で魚を獲ったり、虫を捕まえてきては家で育てたりするのが好きだった。「もっと自然豊かな環境で暮らしたい!自分で食べるものを自分で作って安心して暮らしたい」漠然とそんな風に思っていたことが、今ならできるんじゃ?

それを機に移住フェアに通うようになり、泊りがけの移住体験にも何回か参加した。
でも、 頼る人もいない田舎に完全に移住する、という大きな一歩を踏み出す勇気は、結局のところ、持てないままだった。
それなら「週末田舎暮らし」なら?と家から車で40分くらいの里山にあるシェアハウスで週末だけ暮してみることに。
そこでの暮らしは楽しかったが、平日普通に働いて都会の自宅ですごし、週末だけは別の家に行く暮らしは体力的にきついし、お金もかかる。
時間に追われ自宅は荒れる一方。
ちょうど時期的にコロナ禍だったこともあり、仕事がらシェアハウス暮らしを上司に心配されたことを言い訳に、「週末田舎暮らし」もやめてしまった。
しかし、里山にあえてやってくる人達が集まるシェアハウスに、短期間でも住んでいたことで、現代社会の様々な問題や矛盾を肌で感じることになった。
たとえば、里山の農業では鹿やイノシシなどの獣害が深刻だった。毎年駆除、という名のもとに沢山の命を奪わざるを得ない。しかしその動物たちは、食用にされることなく、山に穴を掘ってただ捨てられている、という事実を知った時は衝撃だった。片方で、牛や豚、鶏をたくさん育てて、その命を奪って食べていることの矛盾に、やるせない気持ちになった。
また、ある時は自然栽培に取り組んでいる農家さんと話すこともあり、現代の一般的な農業の問題点をいろいろ教わった。化学肥料と農薬に頼りきった農業だけでは、いずれ必ず立ち行かなくなる、という現実を知った。
わたしたちの食を支えてくれている農業の現実。農業人口の高齢化など、他にも現代の日本の農業が抱える「持続不可能」感をリアルに感じ、このままでいいのか?という不安を抱えることになった。
仕事も暮らしも、今のままって、もしかして「持続不可能」なんじゃない?
そんなあらたな不安を抱えたまま、日常生活は変えられない自分。
悶々とした日々が続いていた。
「持続可能」をもとめて
今の仕事や暮らしが「持続不可能」なのであれば、「持続可能」な暮らしや、仕事ってどんなものだろう?
そんな想いから、地域の資源を活かした持続可能な農法にとりくむ農家さんや、それを応援したい人。そして、いずれは自給自足的な暮らしをしていきたいと思う人など、が集まるコミュニティに参加するようになった。
月に1~2回、山里にある古民家にあつまり、裏山の環境をととのえたり、いっしょに畑仕事をしたり、昔使われていた水源を復活させる取り組みなど、持続可能な暮らしを実現するための、様々な活動を通じて新たな体験、新しい知識を得ることができた。
またネット検索や仲間との会話の中で、「パーマカルチャー」なるものの存在を知った。
パーマカルチャーの語源は
Permanent(永続性)Agriculture(農業)Culture(文化)。
まさに「持続可能な社会をデザインするための手法」というわけで、学んでみたくなった。
そこでオンラインでパーマカルチャーが学べる、パーマカルチャー研究所が主催している「パーマカルチャ―オンラインスクール」で学びはじめた。
オンラインスクールではパーマカルチャーの考え方を実生活に落としこむ、というワークが沢山あった。
そのワークをする中で、人間社会は本来、様々なエネルギーが循環して成立していたのに、現代社会ではそれがすべてお金を介して循環するようになってしまっていること、に気が付いた。
例えば教育だったら、大昔は学校なんかなくて、暮らしの中での学びがすべて。
暮しているだけで生きていく術を身に着けていった。
それがやがて、学校という形になり、現代の日本では、良い教育をうけるのにはさらに別に塾や予備校、インターナショナルスクールなどなど、お金をかけるのがあたりまえ、になっている。
介護や子育てもそう。大昔じゃなくてもちょっと昔に戻れば、子供や病人は、家族やご近所が協力し合って世話をするものだったのが、今はなんでもお金を払ってサービスを買う、という形になっている。
食べ物や、水、電気やガスや水道、など生活に必要なものはすべてお金を出して買うのが当たり前。
お金がなければ生きていけない。逆にお金があればほとんど何でもできるのが現代社会。
お金がなくなる不安から逃れるため、お金があったらもっと良い暮らしができる、という欲望のため、みんながお金をより効率よく稼ぐことに一生懸命になりすぎた結果、今の世の中が持続不可能になりつつあるんじゃという気がしてきた。
お金をたくさん稼ぐため、毎日朝から晩まで仕事に出かけ、疲れ果て、休みの日はそのストレスを発散するために、お金を払って娯楽にいそしむ。
娯楽にいそしめる人はまだいい方で、お金を稼ぐために外で長時間働き、休みの日は家の用事で忙殺される、なんて人も多いかもしれない。
とにかくみんな、毎日お金を稼いで、生活を回すことに必死で、そんなに毎日のことに必死になっていたら、自分達の生活の陰で犠牲になっている人や生き物、環境問題なんかに真剣に想いを馳せる、なんてこと、できなくて当たり前なんじゃないか?と

現に私だって、田舎暮らしがしたくて、里山のシェアハウスに住んでみるまで、牛や豚をわざわざ育てて、その命をいただいているのに、獣害対策で殺処分された鹿は捨てるしかないという話や、持続不可能な農業のことなんて、ほとんど知らなかったんだから。
そう、結局問題は「お金」が握っているのだ。
「お金」=悪ではない。お金がもしこの世からなくなったら多分、めちゃくちゃ不便なことは、容易に想像がつく。
ただ「お金だけ」に依存する生活そのものが、たくさんの問題を引き起こしている。
オンライン、リアルでの学びをとおして、その考えはつよくなっていった。
じゃあ、お金だけに依存しない生活ってなんだろう?全く依存しない、のは無理としても依存度合いを減らすことはできるんじゃない?
例えば、ケーキをホールで食べたい!とか、甘いものが好きな人なら一度はやってみたい夢をかなえたいとする。もしホールのケーキが5000円ならそれは100%お金に依存した場合は5000円かかるってこと。でもそれを自分で材料を買ってつくれたら、多分材料の質にもよるけど、1000円くらいでつくれてしまう。自分が作る、という部分を担うことで、お金への依存度合いを20%まで減らせたことになる。
さらにそのケーキを作る過程を、同じ甘いものが好きな友達と共に楽しみ、お気に入りの紅茶やコーヒーをお気に入りのカップに入れて楽しめば、友達とカフェに行く回数もへって、娯楽にかけるお金も減らしてさらにお金への依存度をさげられてしまう。
そう、結局、人に作ってもらったモノやサービスをただ買う生活はお金への依存度が高くなり、それらを自分で作り、それをさらに仲間と共有する生活を送れば、お金への依存度は下がる、というわけ。
そうやって、みんながお金への依存度をちょっとずつでもさげられたら、世の中、すこしは変わるかも?
そんな想いで、お菓子作りや、家庭菜園、米作り、井戸掘り体験、森林ボランティアと、いろんなことに取り組んでいった。
「好きなことだけして生きること」への反発
色々なことに取り組みながら日々の暮らしを送っていくことは楽しかった。
新しい知識や技術を学ぶことが新鮮で楽しかったし、それまでできなかったことが、できるようになると、なんだか生きる力が上がったような気がした。
単純にうまくできると、それだけで自己肯定感があがった。
その過程で、同じようなことをしてたのしめる、趣味嗜好の似通った新しい友人も増えていって、いっしょに取り組むことで、どんどん知識や興味が深まっていくのも感じた。
一方、オンラインスクールでの学びも続いていた。
そこで、あらたな問題にぶち当たる。
それは「好きなことだけして生きていくことが持続可能な社会を実現する」という考え方。
それをはじめにきいた時
「みんなが好きなことをして生きていく?それで持続可能な社会が実現する?そんなことあるわけないやろ!」
というのが私の本音だった。
結局、みんなクサイものには蓋をして、嫌なことは人に押し付けて、自分は好きで楽しいことやってたい、っておもってるっしょ。
だから犠牲になっている人や、生き物や、環境問題にも目がむかないわけでしょ?
ぜったいに、好きなことだけやる人だけになったら、世の中まわっていかないよ!
と強く、ものすごく強くそう思ったのだ。
「好きなことだけして生きていく」
その生き方に強烈なアンチを感じる自分。
なぜそんなにも、この考え方に違和感を感じるのか。
しかし、違和感を感じるからと言って、憧れのパーマカルチャーを実践している講師の言葉を無視するわけにはいかない。
それなりにこの講座にお金も払っている。
無視するということは、そこで学びは終了。持続可能な暮らし方がわからないままおわってしまう。
またしても、かけたお金も時間も無駄になってしまう。
そこで、私は毎日のように講師にすすめられた心理学系のYouTubeやポッドキャストの番組を見たり、聴いたりするようになった。
そして気が付いた。
私の中に「好きなことをして生きられなかった過去の私」がいる。
その「過去の私」は、周りの人が好きなこと、楽しいことをやって、自分のことを顧みてくれなかったことにすごく傷ついている。

特にいじめが始まった思春期以降、介護が終わるまでの時間、私の置かれている状況を、詳しく知ろうとしたり、理解してくれる人は本当にわずかだった。
結局、みんな自分が好きで楽しいことをしたいから、楽しくない私の話しなんか聞いてくれない。
好きで楽しいことばっかやってる人間は、思いやりがない、冷たい奴らだ。
好きで楽しいことをやって生きていく、ということは、そういう思いやりのない、冷たい奴に、自分もなるってことだ。
そんな奴に、わたしは絶対ならない!
…いつの間にか私の中の過去の私が、そんな風に誓いを立てていたのだ。
年を重ねた今は、これが相当に極端な思い込みであることは理解できる。
でも私の中に、そう思っている私が確かに存在している。
そんなことはない、といくら言い聞かせても、長い時間、拗ねに拗ねて培われた思い込みは早々簡単には打ち消せない。
だから、今の私が
「好きなことをして生きていきたいなぁ」
なんて思ったりすると、その誓いを立てた過去の私が
「お前!好きなことしていきていくなんて、あいつらと同じ思いやりのない、冷たくて、無神経な奴らになりさがるってことやぞ!」
と石を投げて攻撃してくる。
これが、強烈な「好きなことだけして生きる」という考えかたへの反発の正体だった。
「…どうしよう。これじゃ、永久に好きなことして生きていける気がしないし、それどころかなんか不幸になりそう」
これが、そんな過去の私の存在に気づいた時の、正直な感想だった。
そしてある時、また別の事実に気が付いた。
趣味嗜好が似通った友人が増えたことで、私が憧れる、持続可能な暮らしを実現させるために、いろんな事業をやっている人とも知り合うようになった。
事業をやっているわけなので、当然、なにがしかのモノやサービスをお金を対価に提供しているのである。
例えば、
・農薬や化学肥料に頼らない農法でつくられた作物。
・その作り方を教える講座
・古民家を修繕して使う方法を教える講座
などなど。
その人たちは自分の信じる道を生き、好きなことをお金に換えている人たちだった。
そのモノやサービスを受け取るためにお金を支払うときに、自分の中に妙な感情があることに気が付いたのである。
「いいなぁ、好きなことやってお金もらえて。私はそう好きでもないことでお金稼いでるのに、好きなことやってる人にお金払うのって、なんか癪に障る」
…この気持を自覚した時は正直、衝撃的だった。
あかんやん!私ぜったいあかんやん!
自分が憧れる、尊敬する友人たちがやっている、素晴らしいモノやサービスにお金を払うことが「癪に障る」って!
もう、イタイ!痛すぎる。最悪や―!!!
好きなことをやって生きることに石を投げてくる過去の自分のいうことを聞いて、好きなことをして生きていくことを自分に禁じてる限り、この痛すぎる自分のままだと、このことをきっかけに気が付いた。
もう、これは好きなことをして生きていかないとヤバイ、そう思った瞬間だった。
「好きなことをして生きる」覚悟
そんなことをしているうちに、ある日思いもよらない話が持ち上がった。
リアルコミュニティの仲間であるご夫婦から
「私たち、畑と田んぼが欲しくて、農地付の古民家買うんだけどね。古民家は別に使うあてがなくて。よかったら何かでつかえないかなぁ?家賃とかはいらないから」
という、
「え?なにそれ?どゆこと?」
な、お誘いをうけたのだ。
「古民家レストラン」「古民家カフェ」「古民家ゲストハウス」
古民家、といえば、今や時代のトレンド。なんかきっと素敵な感じがする、そんな期待をもたせるパワーワードである(あくまで私の中で)
それを、無償でお貸しくださる?え、なんで?そんな話ある?
と面喰いながらも、「なんかきっと素敵な感じがする」期待を抑えられず、とりあえず誘われるまま、その古民家を見に行くことにした。
話しを聞くとその古民家は、6年くらい空き家で放置されていた、とのことだった。
ある程度のボロさは覚悟していたのだが、実際に足を踏み入れてみたその古民家は、想像より、全然、綺麗だった。
屋根はしっかりしていて、雨漏りもしていないし、床もぬけていない。
残置物は多量にあるし、ネズミのフンだらけで、玄関先でスズメが死んでたり、とちょっとうぉ、っとなることはあったけど、お化け屋敷のような怖さはなく、建物自体が特に傷んでいる形跡はなかった。
なにより、戦前に建てられたというその家は、立派な柱や梁があり、大きな床の間、見事な欄間、庭に面した長い縁側、キッチンの横に一部残された土間にはかまど、など、ときめく古民家の要素がそこかしこに見てとれた。
おまけにそこそこ広い庭がある。
「ここに果樹を植えて食べられる庭にしたらサイコーですね」
とオーナーさんに話したら、
「あらすてき、ぜひやってちょうだい」
と言われたり…、めちゃくちゃ楽しい古民家探訪の時間を過ごしたのだった。
「え~、ここを使わせてもらえるなんて、すてきだなぁ…」
とワクワク気分のまま帰路についた私。
その日いっしょに行っていた姉も同様になんだか浮足立っていた。
私「えー、あそこでなにやれるかなぁ」
姉「えー、家賃いらんのやったら鍼灸院やったらいーやん」
私「そーやなぁ、お姉ちゃんも、たまにはそこで治療やったり、勉強会とかもできるよなぁ、あんなにひろかったら」
…もう、完全に「立派な古民家を無償で使えるかもしれない」という夢のような現象に平常心は失われていた。
そして、さぁ実際、返事をしなければいけない時が来た。
「ずーっと自信がなくて、鍼灸で開業できなかったけど、家賃がいらないなら、細々とでもやっていけるかもしれないし、何よりこんなチャンス、もう絶対ないと思う!」
と、ギリギリ平常心の皮をかぶったような結論に達したわたしは、
「鍼灸院をさせてもらいたいです」
と口走ってしまったのだった。
オーナーさんは快諾。庭に果樹を植えて食べられる庭にする話もノリノリだった。
相談の結果、古民家の中の少し奥まった2室を鍼灸院としてつかわせてもらうことになった。
とにもかくにも、話が決まれば古民家を使えるようにしなければいけない。
契約が終わり、無事、古民家がオーナーさんの持ち物となったタイミングですぐに改修にうごきはじめた。
まずは多量の残置物、ネズミのフンとの闘い。
週末の度に、ほこりにまみれ、不用品と化した元持ち主の恐ろしい量の持ち物を、引っ張り出してはごみ袋に詰める作業にあけくれた。
それが一息ついたら今度は、リフォームだ。
幸にして週末田舎暮らしをさせてもらっていたシェアハウスのオーナーは古民家改修の大先輩。
プロに頼むべきところ、自分達でできるところ、を的確にアドバイスしてくれ、汚れて暗い砂壁は明るい漆喰に自分たちで塗りなおすことにした。
汚れを落とし、下処理をして、漆喰をぬる。
書いてしまえば1行で終わるこの作業も、2室分、となるとなかなか終わらない。
コミュニティの仲間にも応援に来てもらい、暗くなるまで作業することもしばしばだった。
作業が終わるといつも汚れにまみれ、へとへと。
でも、夢中になって作業に取り組んだ。
冬に始めた作業が一区切りついた春、今度は庭を「食べられる庭」に作り替えるべく、協生農法という果樹と野菜を混生密植させる農法の専門家を招いて、「食べられる庭造り」のワークショップもおこなった。
これも仲間が集まって協力してくれて、荒れ果てた日本庭園だった庭を、果樹と野菜が育てられる場所に作り替えることができた。
その合間にはオーナーさんがやりたかった畑で、話題の「菌ちゃん農法」を実践するお手伝いなんかもした。
プロに任せたドアや畳のリフォームも終わり。古民家に元々あった家具をアップサイクルして調度品も整えた。
エアコンや、ベッドなど、鍼灸院として必要な物も買い揃えた。
時間もお金も手間もかけて、大変だったけど楽しかった時間が過ぎ去り、
いよいよ開業して鍼灸院に集客だ!となったとき。
…それまでと打って変わって、全くやる気の出ない私がいた。
「あれ?私、鍼灸院、やりたかったんだったっけ?」
…今さらである。
そう、好きなことをして生きていかないとヤバイ、と気が付いていたのに。
この古民家でやりたいこと、を考えた時に「好きなこと」ではなく、「できること」を考えてしまった。
ただ、立派な古民家を使わせてもらえるという事実に浮足立ち、ここで自分ができること、ってなんだろう、と考えた時に鍼灸院が思い浮かんだ。
だから鍼灸院をやらせてほしい、と口走ってしまった。
鍼灸院をやること自体が「本当に好きでやりたいこと」だったかというところを、つきつめることなく、ここまできてしまった。
いざ鍼灸院をやる、となったときに、全然やる気がでないのも当然と言えば当然のことだった。
オーナーさんが自分の友達や、ご近所にも宣伝しようか?と言ってくれても、
「いやぁ、まだ他人様を迎えらえる状況じゃなくて」
と、はぐらかしていた。
結局、私がやりたかったのは、食べられる庭造りであり、畑仕事であり、古民家を美しく修繕すること、だったんだ、と気が付いてしまった。
しかし、それなりにお金もかけ、手間も時間もかけ、たくさんの人の手を借りて完成させた鍼灸院を「やりません」ということはさすがにできない。
でも、私は鍼灸院がしたいんじゃないんだ。このまま、仕方なしに鍼灸院を開業して、仕方なしにやりたくない集客をしたりする生活は、ぜったいに持続不可能だということもわかっていた。
困り果てた私は、「好きなことだけして生きていくことが持続可能な社会を実現する」と教えてくれたオンラインスクールの講師に相談した。
講師との会話を通じて、なぜ自分が鍼灸院をやりたいと思えないのか、という理由が徐徐に明らかになっていく。
・治ると期待されて、治らなかったと後から文句を言われるのが怖い
・治してほしい、と頼られても、そんなに完璧に治せる自信がない
・そもそも合わない人がきたら、施術時間をいっしょに過ごすのが苦痛
などなど。
それを聞いていた講師は
「治せないと、ダメなんですか?」
「合わない人は来ないように最初から言っておいたらどうですか?」
「患者さんにも庭造りとか畑仕事が好きな人にきてもらって、手伝ってもらって、ついでにちょっと鍼もできる、みたいな治療院だったらどうですか?」
と提案してくれた。
え、治せない、と公言する鍼灸院?
自分と合わない人はこなくていい、と宣伝する鍼灸師?
畑仕事のついでに鍼?
正直、そんな治療院、ゆるされるわけないやろ!というのが正直な感想だった。
でもたしかに、そういう治療院ならやってもいいかも、と思える自分もいた。
それで鍼やマッサージをして、喜んでお金を払ってもらえるなら、鍼灸の施術も決して嫌なことではなく、むしろ、今までやってきたことで、少しでも人に喜んでもらえるありがたい仕事だと思えた。
そして、そういう鍼灸院でないと、私には持続不可能だ、とも思った。
そこでそれを、オーナーさん夫妻に伝えることにした。
オーナーさんは以前
「やはり仕事として職に着いたら、その職の本分をまっとうするのが、あるべき姿なんじゃない?」
と言っていた。
こんな常識やぶりの鍼灸院をやりたい、なんて話したら、なんて言われるだろうか。
内心、びくびくしていた。
オーナーさんは、怒ったり、馬鹿にしたりせず、私の話を聞いてくれた。
そして、言ってくれた。
「あなたの本音が聞けて良かった」
その日を境に、オーナーさんは、積極的に自分の知り合いを紹介したり、ご近所に宣伝しようという話をしなくなった。
正直、本音を聞けて良かった、とは言ってもらえたものの、実際のところどう思っているのかはわからず、
「あー、内心どうおもわれてるんだろう」
という不安はのこっていた。
「好きなこと、やっててよかったんだ…」
そんなある日、古民家にオーナーさんの友人がやってきた。
美しく生まれ変わった古民家で、お茶会を開き、念願だった畑仕事や、米作りを楽しんでいるオーナーさんたちを見たそのご友人は
「いやぁ、ホントによかったねぇ。素晴らしいおうちで、やりたいことをやれて」
とうらやましそうに話していた。
それを聞いたオーナーさんは
「私たち夫婦だけじゃ、ここまでのことはできなかった。この子たちがずっと一緒に手伝ってくれたからここまでやってこれたと思う。ほんとに感謝してるのよ」
と、私の方を見て言ってくれたのである。
それからも、ご友人が来て、同じような話が出るたびに、オーナーさんは同じように私に対して感謝の言葉を伝えてくれた。その言葉を聞いているうちに、私は自分の中に残っていた不安が、すこしずつ消えていくのを感じた。
ああ、私、あの時、ただただ夢中になって古民家を片づけて、壁を塗りなおして、畑を耕していたけど。
それがオーナさんの役に立ってたんだなぁ。
好きなことだけやって、人に喜んでもらう事って、ほんとうにできるんだ。
そう実感できたことによって
「好きなことだけして生きていくことが持続可能な社会を実現する」
という考え方も少しずつ受け入れられるようになっていた。
そしてこの場所で、
私の好きなことをいっしょにやってくれる
私のことを好きな患者さんと一緒に、
好きな畑仕事、食べられる庭造り、米作り、お菓子作りや、古民家の手入れをいっしょにやって、
ついでに鍼灸も提供する、
そんなふざけた鍼灸院を、本気でやっていこう、と思えるようになった。

危うく投げだしそうになった鍼灸院の開業を投げ出さずに済んだことで、今まで何をやっても続かなかった自分とも決別できて、自信が持てるようになった。
鍼灸院をやることを許してくれたオーナーさんに感謝するとともに、そんなすばらしいオーナーさんと出会えた自分のことも、すばらしいかもしれない、と思えるようになった。
地を這うようだった自己肯定感が人並みぐらいにはなったような気がする。
思えば、お金への依存度をさげたい、といろいろ取り組んできたことが出会いのきっかけだった。
たくさんのことに取り組んできたことで、お金への依存度は確実に低下し、好きでもない仕事でもお金のためなら我慢してやるしかない、という、強迫観念からも解放されていた。
介護生活から解放されても、つきまとっていた不安はいつのまにか、姿を消していた。
誰もが好きなことをやって生きられる世界へ
幼いころからずーっと自分に自信が持てないまま、そこから抜け出したくていろんなことにチャレンジしては中途半端な結果に終わり、さらに自信を失う、ということを繰り返してきた私。
でも今はその中途半端に終わったことも、すべて無駄ではなかった、とおもえるようになった。中途半端な結果だったとしても、様々な体験を通し、それまで知らなかったこと、出会ったことのない人達と接するうちに、それまでできなかったことができるようになり、気付けなかったことに気づくことができるようになった。
最終的には、知らないうちに、自分が「好きでたのしいことをやっているだけ」で、人の役にたち、喜んでもらえていた、という、昔の私には到底信じられなかった出来事が起こった。
なんだか、ちょっと夢みたいな話だ。
でもこれは紛れもなく私の身に起こったこと。
私の身に起こったことは、かつての私のように今も自分に自信が持てないまま、苦しい日常を送っている人にも起こりうることだということ。
できるなら、そんな人たちにも、私と同じように「好きなことをやっているだけで人から喜ばれる」そんな世界を見てもらいたいと思う。
だからといって、私がいくら言葉でこのことを伝えたところで、意味がないことはわたしが痛いほどわかる。
でも、とりあえず、このHPで発信していくアラフィフの独身女が、古民家を改修したり、畑仕事したり、米作ったりして、時には汗だく泥まみれになったりしながら、でもめちゃくちゃ夢中になってそれに取り組んでいる姿を、「なんか変なやつ」とか「ちょっとおもしろいな」とか興味をもってもってもらえたら、ぜひ、いっしょにやってみてほしい。
・・・というわけで。
私はこの場所で、とにかく「自分が好きで楽しいことだけ」やっていきます。
農作業や古民家改修以外にも、やりたいことはたくさんあります。
買えば高いものを自分でつくって、めっちゃお得で楽しいと思える、ヘルシースイーツ作り、発酵食品づくり。ちょっとした薬膳料理や、その他の手仕事もやっていきます。
「好きで楽しいこと」を手伝って一緒に楽しんでやってくれる人がいたら、私、めっちゃうれしいです。
特に農作業は楽しいけど、結構大変なんです。だからめっちゃ助かって嬉しいんです。
とっても嬉しいので、私の特技の鍼灸マッサージを、すっごくお安く提供もさせていただきます。
農作業で身体を動かしたり、自分でお財布にも身体にも優しい、スイーツや発酵食品をつくって食べると、それだけで心も身体も健康になります。
おまけに鍼灸マッサージもうけられたら、さらに元気になれてしまいますよ。
身体も心も元気になれて、人(この場合私)から感謝もされることで、あなたの自己肯定感も上がること間違いなし、なこの場所に是非お越しいただけたらうれしいです。
「いきなり行くのはちょっと」とか、「距離的に遠くて行けないよ」という方も、メルマガに登録していただければ、私が好きなことをやっているだけで、「なんかうまいこと回ってる感じ」を味わっていただけるかと思います。それを読んでいただいて、「私も好きなことだけやってみようかな」と思ってもらえたら嬉しいです。
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